志村けんさんが 亡くなられたニュースを 家で知った。 家にいる時は 一言も言葉を発しないのだが これは思わず 出た。 志村けんさんを 観ると 小学生の頃、 夜9時までの塾通いで ドリフもバカ殿も 終わっていた 悔しい記憶と、 兄を思い出す。 兄は 志村けんさんと 中村雅俊さんを 足して 2で割った様な 風貌だった。(不確かな美化 今なら こんなおじ様顔になってたのかな と。 人が亡くなるという事は この瞬間から 世界の何処を探しても 居ないという事。 会えなくても これ以上思い出が増やせなくても 忘れる事は出来ないけど 遺された物の行き場、 残された者の生き方 が 試される。 生きていれば、それが ひとり分、 また ひとり分 と蓄積する それが 自分を創っていく。 年齢、社会的地位、 順番通りではない からこそ 今、生きている人の事を大事にする 優しい世の中で生きたいな。 今夜は 志村さんで知った 焼芋焼酎で 家呑みしながら 画面の中に残る、 面白かったことしか思い出せない いちコメディアンの動画を観ようと思う。 PR |
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